東欧民族舞踊団の危機・フォークロールレポート公演のきっかけ

1993年1月 フォークロールレポーター 増永 哲男

民主政変で激変

 旧社会主義政権下での優遇された民族文化政策は1989年東ヨーロッパの民主政変で激変いたしました。

 その時、フォークロールレポートは東ヨーロッパを中心にクリスマス・イースター・結婚式と、大小プロ・アマ問わず300を越える舞踊団を記録・取材して20年目になっていました。私もルーマニアの村でクリスマスを取材中、チャウセスクの処刑を知りました。それまで禁止されていた教会からのクリスマスミサがラジオ・テレビからその後ずっと流れていたのを忘れません。

政変以降の舞踊団は政府・労組・党からの援助が大幅にカットされました。舞踊団からの収入よりも政変以降自由となったプライベートなビジネスの方が魅力があり、多くの団員たちが去りました。衣装も散逸いたしました。自然消失する舞踊団も現れました。

 今まで私の取材を助けていただいた舞踊団も等しく困難に直面し、そして彼らに未経験のマネージメントの相談を受けました。その中でどうしても存続してもらいたい舞踊団、もっと元気を出してもらいたい舞踊団、今までのタガが外れて世界に飛び出せるチャンスがでてきた舞踊団、そしてフォークバレエではなくフォークダンスを基準として私は年に1っの舞踊団を選抜しています。

心を鬼にした選択

 多くの舞踊団を心を鬼にして割愛し、6っの総合舞踊団を招聘いたしました。この他にも選抜基準に該当する大事な舞踊団がたくさん残っています。東ヨーロッパには新体制での経済や民族問題にまだまだ困窮しています。この5年ではとうてい足りませんでした。さらに私もできる限りの援助を続けたいと思います。旧ユーゴスラビアから分離独立、隣国のボスニアとセルビアの戦乱の影響を受けながら国家建立の気運に燃えるマケドニアからタネツ民族舞踊団を97年招へいいたします。ポーランド・ブルガリア・バルト3国・チェコ・ジプシー・ロシア……援助すべき魅力ある民族舞踊団をさらに紹介していきたいと思います。

私たちの宝物

 この5年間に来日した舞踊団の団長ローリンツ・ライオシュ氏(92年トランシルバニア)やブチュウ・バレリウ氏(94年マラムレシュ)も「私たちの公演を見ていただいた喜びと、日本のみなさまとの交歓会・講習会・ツアーマネージメントからたくさん学んだ喜びは、私たちの宝物です。みなさまも私たちのところにも是非お寄り下さい。」といつも言っています。公演と交流は相互理解の基礎と思います。

 東欧の民族舞踊団との公演と交流という大仕事に没頭した夢のような5年間に、私を忘れ、心ならずもご迷惑をおかけいたしましたこと多々あると思います。お詫びの言葉もありません。

 そして、私を励まし助言を下さった素晴らしい仲間たち、また日本フォークダンス連盟および各支部の暖かいご支援を心より深く感謝申し上げます。今後、みなさまから勉強させていただいた知識と経験をフォークロールの世界にもっともっとお役に立てていきたいと思っています。